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お城シリーズ「清洲城」

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2021.03.10

清洲城は応永12年(室町時代初期)に、斯波義重により尾張守護所である下津城の別邸として築城されました。下津城が落とされた後に尾張守護所となり、その後なんやかんやで織田家が守護代として居城します。あのラッキーにも織田信長が桶狭間の奇襲で今川義元を討ち取った時は、この城からの出陣でした。奇しくも信頼していた家臣、明智光秀に本能寺で自害に追い込まれ、その信長の後継ぎを決める会議が開かれたのもこのお城です。鎌倉街道、伊勢街道が合流し、中山道も連絡する清洲(清須市)は、交通の要所として重宝されたようです。映画「清洲会議」は有名ですよね。関ヶ原の戦いでは東軍の後方拠点としても利用されましたが、徳川家康の遷府にて城下町ごと名古屋に移され、名古屋城築城の際の資材として使われ、御深井丸西北隅櫓は清洲城天守の資材を転用して作られたため「清洲櫓」とも呼ばれています。なので現在の清須城は完全レプリカですが、五条川を挟んだ「清洲公園」には信長像や当時の石垣の再現などがあり、良い雰囲気を醸し出しています。

長々と書いてしまいましたが、次回はサラッと書きますのでご容赦ください。By JinJinBoo

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