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二本松城

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2022.04.09

こんにちは!「KuroBoo」です。
今回は仙道筋の名城、二本松城をご紹介します。 

二本松城といえば、会津の白虎隊と並んで、戊辰戦争に散った二本松少年隊が有名でしょうか。
また近年、シンボル的存在として箕輪門が復元されたこともあり、近世城郭として注目されることが多いですね。

しかし今回はあえて、中世の二本松城を見ていこうと思います。


戦国時代末期、奥州に覇を唱えた伊達政宗は皆さんもご存知でしょう。
後に奥州で大勢力を築き上げた政宗公ではありますが、その若年期、攻めあぐねていた名城がこの二本松城です。

父親の弔い合戦として、意気込んで始まった二本松城攻略戦ですが、天然の要塞に囲まれた堅固な構造に加えて、敵方の援軍にも阻まれ、一度は退くこととなりました。

結果として2度目の出陣の際に、内通をもって開城することに成功しましたが、士気の高い伊達軍をもってしても、正面からの攻略は最後まで不可能だったようです。


その頃の面影は北西部の搦手門から堀切にかけて、現在でも見ることができます。

近世以降の改築で立派な石垣がところどころに見えますが、構造自体は中世そのままの状態と考えられています。
およそ弱点と目されていた搦手周辺が、その後も簡単な改築に留まっているのは、元々の完成度の高さの証明と言えるのではないでしょうか。


さて最後に人取橋古戦場を訪ねて、締めとさせて頂きます。

現在国道4号線沿いにある人取橋では、二本松城救援に来た敵方の援軍と、攻城中の伊達軍の間で、激しい戦闘が行われました。

敵方は会津の蘆名、常陸の佐竹を筆頭とした3万の連合軍。対する伊達軍はわずか7千の手勢で迎え撃ちますが、善戦むなしく撤退。二本松攻略は翌年に持ち越しとなりました。
一方連合軍側も決定打を放てず、そのまま帰陣。双方痛み分けのような形になりました。

この多勢に無勢の中での善戦の背景には、伊達家の老将、鬼庭左月斎の命をなげうった獅子奮迅の活躍があったと言われています。
往年の名作大河ドラマ「独眼竜政宗」では、いかりや長介さんが左月斎を演じており、劣勢の中、老体に鞭打って戦い、最後の勤めを何とか果たさんとするシーンは非常に印象的でしたね。

物語では政宗の独り立ちに繋がる転換期となりましたが、現実でもこの戦闘が弱冠19歳の青年を大きく変えたことでしょう。想像が膨らみますね!

それではまた!

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